ギャラリー(新川ギャラリー入り口)
1657(明暦3)年の明暦大火を機として新川の地に移転した新川大神宮。爾来足掛け5世紀にわたり、さまざまな姿が描かれ、そして季節毎に移ろう姿を見せてきました。
上方からの下り酒を扱う集積地として栄えた新川とそこで活躍した酒問屋、そして新川大神宮は切っても切れない関係として、昔の絵図等に残されています。敬神会有志では、これらについて情報の収集・整理を進めています。
平成の現在、新川大神宮の境内はビルの谷間のおよそ200坪足らずの決して広い敷地ではありませんが、社殿ほかの建造物が四季の移ろいの中、様々な姿を見せています。
江戸期以降、脈々と紡がれた新川や新川酒問屋の歴史・文化は、現代のさまざまな書物・文書で取り上げられています。
ノスタルジーと、未来への誓い。明治から大正、昭和、時代と共に変化してきた、新川の姿。
江戸時代、酒問屋の街「新川」は江戸風俗として、狂歌や川柳として親しみを込めて詠われてきました。