【1952(昭和27)年10月17日設置・掲出の由来誌説明版】
由来は伊勢内宮の社僧・慶光院所蔵古文書『慶光院由緒』ならびに江戸名所図会に詳しい。慶光院周清上人が寛永2年(1625)徳川2代将軍から江戸代官町に屋敷を賜り、邸内に伊勢両宮の遥拝所を設けられたのにはじまり、その後、明暦3年(1657)江戸の大火で類焼したので、この年、替地を霊巌島に賜り社殿を造営、以来実に300年を経た。当地は河村瑞軒が隅田川に通じる水路を開いて舟楫の便に利するに至って新川と称し、当宮を中心として酒問屋櫛比し殷賑を極め今日に至るまで酒類の一大市場となった。爾来、当宮は夙に当地産土神として庶民の崇敬を集め、とくに酒問屋の信仰篤く、毎年新酒が着くと、これが初穂を神前に献じ、然る後はじめて販売に供した。
明治維新により幕府の庇護が絶えてからは専ら酒問屋の守護神として崇敬厚く奉齋しきったが、昭和20年(1945)3月9日の戦災に罹り社殿を烏有に帰した。その後、新川も戦災焦土で埋め旧態を失ったが、再び往時の繁栄を回復しつつあるのはまったく当宮御神威の賜ものである。
偶々昭和27年(1952)が講和条約発効独立回復の年にあたる故をもって、酒問屋有志は深く当宮の御神徳を景仰し感激措く能わず、すなわち社殿の再建を発起し、洽く協賛を全国同業者に求めて同年5月7日地鎮祭、9月5日上棟祭、10月17日竣工遷宮ならびに例大祭を執行、聊か神慮に応え奉り、敬神崇祖の微衷を捧げた次第である。
ここに当宮再建の由来を記し、同業協賛の美挙を載せて後世に伝えるものである。